最近時の流れを感じて悲しくなることがたくさんある。
親の老化を感じたり、同級生がみんな結婚して子供ができたり、自分の年齢を再確認したり。
自分は精神的に何も変わっていないのに肉体に置いていかれている感じがする。
なぜ悲しく感じるのか。
この世の物事はすべて絶えず変化しているのに、いつまでも続く永遠のものだと勘違いしてることから始まってる気がする。
親の老化なんてものは絶えず進んでるはずなのに、日々の変化を意識しないから、ある日大病を患ったり、久々に会った時に小さくなった背中を見て時の流れを実感する。
友達もいつまでもあの頃の子供のままだと思っているから、立場が変わってることを認識して悲しくなる。
自分の姿だって毎日意識しないから、ある日鏡を見てしわが多くなった変化に気が付き悲しくなる。
人は安心や安定を得ようとするばかりに死を意識することから遠ざかっている。
死を意識しないから生の大切さが実感できず、有限で貴重な時間を浪費し続ける。
毎日同じ時間に起き、会社に行き、似たようなものを食べて、何十回言った愚痴を並べて、同じ行動、同じ思考をし続ける。
自分は何をしたいのか、何を手に入れたいのか、どんな人間なのかを見失い
休日はダラダラとスマホやPCを眺め、目の前の安易な娯楽や快楽に無駄な時間を費やす。
そしてある時、自分はこのとてつもない時間一体何をしてたんだと目を覚ます。
そのある時は余命を宣告された日かもしれないし、交通事故で九死に一生を得た日かもしれないし、50歳の誕生日かもしれない。
共通するのは死を足音を確かに感じて、人生には限りがあると意識した時だ。
人生で死を意識してこなかった人間には、ご褒美に死ぬ直前「あの時にこれをしていれば、自分はこうなりたかった、もっと挑戦していれば、」と人生の後悔をする羽目になる。
死を意識することから自分は何がしたいのか、何になりたいのか、何を手に入れたいのか望みが明確になり目的が生まれ、そのために何に時間を費やすべきなのかを理解する。
俺には死にかける経験が必要だ。